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[Desafinado]Desafinado (Off Key/Slightly Out of Tune)

アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノヴァ曲のなかでも、最も早くわれわれの耳に入ってきたもので、私が初めてこの曲を聴いたのは、ディズィ・ガレスピの率いるオーケストラのものだった。1960年頃だったろうか、まだボサノヴァのレコードがあまり入ってきていないし、日本盤も出されていない頃だから、これは私にはボサノヴァの最初の曲という印象がある。

[Don’t Explain]Don’t Explain

言わずと知れたビリー・ホリデイの曲で、亭主がカラーに口紅をつけて帰ってきてなにか下らない言い訳をするので、思わず口をついて出たビリーの言葉から作られた歌である。その話しの真偽の程は定かではないという説もあったが、歌詞の意味は全体に誤解の余地のない曲で、ホリデイらしい雰囲気が漂っている。作ったのは’39年らしく、この時彼女は Decca に録音したという説もある。

[Don’t Get Around Much Anymore]Don’t Get Around Much Anymore

もとは[Never No Lament]というデューク・エリントンのインストゥルメンタルで、ジョニー・ホッジスのアルトをフィーチャした曲だったが、あとからボブ・ラッセルの歌詞がつけられ題名も変えられた。インストゥルメンタルに歌詞をつけてヒットさせるという例は多いが、エリントンの曲としては[Satin Doll]や[Take the A Train]と較べれば、あまり知られていない部類に入るかもしれない。

[East of the Sun]East of the Sun

この曲はブルックス・バウマンが’34年のプリンストン大学の Triangle Club のショウ【Stags at Bay】に書いた3曲のうちの1曲だ。ノルウェイの民話に、王子様とその母君が「太陽の東と月の西に住む」と歌われ、彼はそこからヒントを得てこの題名をとった。スコットランドの詩人アンドルー・ラング Andrew Lang の編纂した童話集で1889に出版されたという。

[Ev’ry Time We Say Goodbye]Ev’ry Time We Say Goodbye

これはコウル・ポーターの作品で、ビリー・ロウズ Billy Rose の’44年のレヴュー【Seven Lively Arts】に挿入され、そこではナン・ウィン Nan Wynn が歌った。これは〝七つの活気のある芸術〞というそのままの意味で、音楽、演劇、オペラ、バレー、ラジオ、絵画、コンサートをさし、配役陣にはベアトリス・リリー Beatrice Lillie、バート・ラー Bert Lahr、ドロウレス・グレイ Dolores Gray らが入り、ベニー・グドマン Benny Goodman、テディ・ウィルソン Teddy Wilson らが伴奏メンバーに入っていて、 イゴール・ストラヴィンスキー Igor Stravinsky がバレー音楽を書き、 踊り手のなかには著名なアリスィア・マルコウヴァ Alicia Markova も入っていた。

[Fly Me to the Moon]Fly Me to the Moon

キャバレー・ピアニストで、当時、歌手のメイベル・マーサー Mabel Mercer の伴奏を務めていたバート・ハワードが、’54年に彼女用に書いたという3拍子の曲で、そのときは[In Other Words]という曲名だった。このマーサー用という記述もあれば、一方でハワードが’51年からピアノ伴奏と司会を担当していたマンハタンのクラブ Blue Angel で、フェリスィア・サンダース Felicia Sanders がこの曲を歌ったので、サンダース用として書いたのかもしれない。

[For All We Know]For All We Know

この曲は’34年に当時ラジオで人気のあった歌手モートン・ダウニー Morton Downey が番組で歌ったのが最初だった。同年ハル・ケンプ Hal Kemp 楽団(スキネイ・エニス Skinnay Ennis 歌)がチャートで3位、アイシャム・ジョーンズ Isham Jones 楽団(ジョウ・マーティン Joe Martin 歌)が16位に入り、ケイ・カイザー Kay Kyser とガイ・ロンバード Guy Lombardo 楽団はチャート外だったが、レコードが出されている。

[Georgia on My Mind]Georgia on My Mind

ステュアート・ゴレル作詞、ホウギィ・カーマイケル作曲で’31年に書かれた大変有名な曲だ。カーマイケルはこの時点で’29年の[Stardust]ほかもう10曲以上書いていたが、まだ大きなヒットはない状態だった。当時彼はニューヨークの投資会社に勤めていて、余暇に曲を書いているところだった。サックス奏者でバンドリーダーのフランキー・トランバウアー Frankie Trumbauer が「ジョージアについての歌を書いたらどうだい? 今まで誰も南部の歌を書いて損した奴はいないよ」とある日彼に言った。

[Girl Talk]Girl Talk

ボビィ・トループとニール・ヘフティが’65年に書き、同年に作られた往年のセクスィ女優ジーン・ハーロウ Jean Harlow の伝記映画『Harlow』に使われた曲だ。’66年に私はちょうどアメリカに行っていて、当時はやっていたこの曲をラジオからよく聴いたものだ。毎日、おそらく二三回は聴いたような気がする。この曲と少し似た感じの[Cherish]とか[Downtown]といった曲もはやっていて、やはり何度も何度も耳にした。