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[Why Try to Change Me Now]Why Try to Change Me Now

この曲は、当時まだ23歳で作編曲の仕事を始めたばかりのサイ・コウルマンが書き、ジョウゼフ・アラン・マカースィ・ジュニアが歌詞を書いた。フランク・スィナトラは’40年代初めからソロ活動に入って、ジャズ歌手の新しい形を作りつつあり、すごい勢いで上昇してきたが、この頃’50年代初めは私生活のことも含めて大きく下降していて、ちょうどコロンビア・レコードとの契約切れを迎えたところだった。それに加えてコロンビアのA&R(Artists and Repertoire)マン/ミチ・ミラー Mitch Miller とうまくいかなくなり、コロンビアを出るのはやむを得ない展開だった。

[You’re Nobody ’Til Somebody Loves You]You’re Nobody ’Til Somebody Loves You

トロンボーン奏者でアレンジャーとしてバンド・リーダーとして活躍したラス・モーガンが1944年に書いた曲で、ラリー・ストック、ジェイムズ・キャヴァノウとの共作になっている。だがその時はほとんど売れず、2年後の’46年にモーガンのオーケストラのレコードがヒット・チャートで14位まで昇って、いくらかヒットした。

[Where Can I Go without You]Where Can I Go without You

ペギー・リーが作詞し、ヴィクター・ヤングが作曲して、1952年に発表された曲である。ミュージカル、映画とは関係がない。チャートでは’54年3月にペギー・リーの歌で28位に入っただけだったが、ナット・キング・コールの歌の方が有名になり、またメル・トーメも歌っている。

[Temptation]Temptation

アーサー・フリード作詞、ネイスィオウ・ハーブ・ブラウン作曲で、1933年の映画『Going Hollywood』(MGM)に入れられた曲である。そこではビング・クロズビィが歌い、そのレコードはチャートで’33年12月末から翌年初めにかけて3位まで上がり、ファーディ・グロウフェ楽団のレコードも同時期に19位までいった。

[Please Be Kind]Please Be Kind

サミー・カーンとソール・チャップリンが1938年に書いた曲で、ミュージカルや映画とは関係ない。カーンとチャップリンは’34年ごろから一緒に曲を書きはじめ、’35年からヴァイタフォン Vitaphone という、今ならミュージック・ヴィデオのような短編音楽フィルムを作っていた会社に曲を書いていた。

[Indian Love Call]Indian Love Call

オットー・ハーバックとオスカー・ハマースタイン二世が作詞を担当し、ルドルフ・フリムルが作曲したオペレッタ【Rose-Marie】のなかに入れられた曲で、1924年の作品だ。この【Rose-Marie】は当時はたいへんなヒット・オペレッタで、ヨーロッパ色の濃いミュージカルのいわば最後の時代における最後のヒットの一つだった。

【研究】さらに[The Lady Is a Tramp]について

この曲には四番まで歌詞がある。しかし実際には二番以下はあまり歌われていない。《Ella in Berlin》のエラはヴァース、一番、四番と歌っているが、二、三番は省いている。次に、参考までに二、三、四番の歌詞とその訳を記してみよう。

[My Funny Valentine]My Funny Valentine

ロレンズ・ハートとリチャード・ロジャーズの名コンビでつくられ、1937年のミュージカル【Babes in Arms】に使われた。そこではミッツィ・グリーン Mitzi Green がヴァレンタイン役のレイ・ヘザートン Ray Heatherton に向けて歌い’39年の映画化『Babes in Arms』(MGM)ではジュディ・ガーランドが歌った。