カテゴリー別アーカイブ: 研究

【研究】著作権の問題

アーヴィング・バーリンは自分の曲に関して厳しい考え方をしていた。彼は初期の一部の作品以外は作詞、作曲の両方をやっていて、彼はそういう作品は本などでの他のソングライターの曲との混載を禁じていたのである。曲集、楽譜といったものにはたいてい多くの人の曲が載るが、彼は自分の曲は人の曲と一緒にではなく、自分の曲だけでなければ使用許可を与えなかった。

【研究】ボビィ・ダリン

’59年のボビィ・ダリンの[Mack the Knife]は二百万枚売って、ヒット・チャートでトップを九週間維持し六ヶ月チャートにとどまった。これは当の本人も予期できないほど意外だったようで、彼のその後を狂わせてしまったのかもしれない。

【研究】カズー

カズーという楽器はどんなものなのだろう? カズー kazoo と聞いても知らない人の方が多いだろう。《ギネス・ジャズ・コンパニオン》によれば、これは金属製のパイプ状のもので、フルートのような管ではなく葉巻のような格好をしていたものだという。

【研究】1937年

ディック・ハイマンが1937年の曲ばかりやっているCD《Music of 1937》では、サンフランスィスコ・イグザミナーのフィリップ・エルウッド Philip Elwood がライナーノウツを書いている。彼は「1937年はアメリカ音楽にとってとても意義ぶかい年だった」と言い、次のように書いている。

【研究】スキャット

ルイ・アームストロングは1930年に[I’m Confessin’ That I Love You]を吹きこんだが、この年はほかにも[Exactly Like You]、[I Got Rhythm]、[I’m a Ding Dong Daddy]など多くの曲を吹きこみ、そこでスキャットをさかんにやっている。

【研究】サミー・カーンとゲットー

サミー・カーンはニューヨークの Lower East Side と言われる貧民街の出身だった。そういう貧民街の、それもたいてい同じ人種でかたまっている一角をゲットー ghetto というが、ユダヤ系のカーンはニューヨークのユダヤ人ゲットーから出てきた。

【研究】サミー・カーン

ミュージカル【Glad To See Ya】の主役エディ・デイヴィスが事故に会ったとき、まだ代役が用意されていなかった。ミュージカルは本公演なら普通は代役 understudy が用意されているが、このときはなにしろトライアウトの一週目でまだそれどころではなかったのだ。

【研究】トーチ・ソング

トーチ・ソングの torch という単語にはもともと〈松明〉の意味がある。たいていは carry a(the) torch for… というかたちで使われるが、それはアメリカだけの俗語的用法で、政治家の選挙運動などで昔は支持者たちが松明をもって行進したりしたことからできてきた表現ではないかとされている。