カテゴリー別アーカイブ: 研究

【研究】コットン・クラブ物語り 7

禁酒法廃止案を批准した州は’33年の12月に必要な数に達し、その廃止は公的なものとなった。これはいわばアメリカがアメリカに送ったクリスマス・プレゼントになったが、コットン・クラブはこの贈り物に喜んではいられなかった。不況も大きくクラブの営業成績に響いていたし、禁酒法廃止はニューヨークのナイト・ライフからその一番大きな魅力である〝スリル〞を奪ってしまったのだ。

【研究】コットン・クラブ物語り 6

’33年の春からは、デューク・エリントン楽団がまたコットン・クラブに戻ってきた。ケーラーとアーレンは4月のショウに新曲を書き、ハーマン・スタークはその曲を歌う歌手としてエセル・ウォーターズを雇った。エセルはシカゴでアル・カポネのやっている店に出ていたが、どうも彼女のスターへの歩みはこのところ停滞気味で、ニューヨークへ戻ってきたところだった。

【研究】コットン・クラブ物語り 5

コットン・クラブの whites only という方針は断固としたものだったが、’28年頃からそれが少しずつゆるまってきた。ミュージシャンや歌手、ダンサーなど黒人出演者の知人や家族が入れるようにエリントンらが交渉し、それが許されるようになったからだ。といっても黒人の客は一番うしろのキッチンに近い席に案内されるのが常だったが。

【研究】コットン・クラブ物語り 4

さてエリントン・バンドは映画の仕事を終え、’30年にコットン・クラブに戻り、キャロウェイ・バンドはプランテイション・クラブに移った。プランテイション・クラブはブロードウェイで成功したクラブだったが、コットン・クラブの成功に挑戦するようにその近隣のダウンタウンよりに支店を開いたのだ。

【研究】コットン・クラブ物語り 3

急死したハーディングのあとに大統領になったのは、カルヴィン・クーリッジ Calvin Coolidge だった。彼は昼寝が得意で、執務室で昼寝ばかりしていた。のちに無能な大統領の典型と言われたクーリッジだが、’70年代の終りころになると、ヴェトナム戦争の苦い経験からかアメリカでは、忙しく勤いて戦争、失業、経済赤字を招来することになったケネディ、ジョンソン、ニクソンらの大統領の評価はがた落ちし、クーリッジのようになにもしないでボーッとしていた大統領の評価が大きく高まったりした。

【研究】コットン・クラブ物語り 2

’23年秋、コットン・クラブ最初のショウが組まれ、マクヒューは[I Can’t Believe That You’re in Love with Me]、[When My Sugar Walks Down the Street]などの曲を書いている。ショウも評判がよく、店の雰囲気はもっと評判がよかった。

【研究】コットン・クラブ物語り 1

1910年のこと、黒人ボクサーでその二年前に初のヘヴィ級のチャンピオンになったジャック・ジョンソン Jack Johnson は、白人ボクサーのジム・ジェフリィズ Jim Jeffries に勝ってタイトルを防衛した。ジェフリィズも1899年から六年間チャンピオンの座にあったが、’05年に引退していた。

【研究】[My Ideal]とアメリカ人の性意識

コール・ポーターの[Love for Sale]は一時期アメリカとカナダの放送局から放送禁止措置をとられた。もちろんそれは性的にあまりに露骨な表現が満ちているという理由からだ。しかしちょうど同じころ、フランスではエディット・ピアフ Edit Piaf がパリの売春婦について高らかに歌いあげていた。