カテゴリー別アーカイブ: 電子版オリジナル

[These Foolish Things]These Foolish Things

ジャク・ストレイチー作曲、エリク・マシュウィツ作詞で1935年に作られた曲だ。ロンドンのレヴュー【Spread It Abroad】(’36)に使われた。なかではドロスィ・ディクソン Dorothy Dickson (1893–1995)が歌い、レヴューは200回を超えるくらいで大きなヒットではなかった。マシュウィツはこのときホルト・マーヴェルという芸名も使っていて、ストレイチーとともにイギリス人だが、レヴューではアメリカ人でイギリスに来て仕事をしていたハリー・リンクも加わり、2、3番の歌詞のブリジを担当したという。

[Only Trust Your Heart]Only Trust Your Heart

この曲は1964年にアストラド・ジルベルトが歌って有名になった。彼女がボサノヴァで歌ったせいか、これはほとんどボサノヴァで歌われるようだ。曲はトランペトとアルトサクスをこなすジャズ畑の大御所ベニー・カーターが書いていて、歌詞はサミー・カーンによっている。カーンは’57年に Nicholas Brodszky の曲に同名の歌詞を書いていて、それはディーン・マーティンが歌って出されているが大きなヒットとはならなかった。

[Wrap Your Troubles in Dreams and Dream Your Troubles Away]Wrap Your Troubles in Dreams and Dream Your Troubles Away

この曲は、当時まだ23歳で作編曲の仕事を始めたばかりのサイ・コウルマンが書き、ジョウゼフ・アラン・マカースィ・ジュニアが歌詞を書いた。フランク・スィナトラは’40年代初めからソロ活動に入って、ジャズ歌手の新しい形を作りつつあり、すごい勢いで上昇してきたが、この頃’50年代初めは私生活のことも含めて大きく下降していて、ちょうどコロンビア・レコードとの契約切れを迎えたところだった。それに加えてコロンビアのA&R(Artists and Repertoire)マン/ミチ・ミラー Mitch Miller とうまくいかなくなり、コロンビアを出るのはやむを得ない展開だった。

【研究】アート・テイタム

アート・テイタム Art Tatum (1909–’56)は、ノース・キャロライナ州からオウハイオウ州トリードウ Toledo へと、20世紀初め頃に移ってきた音楽家の両親のもと、’09年に生れている。彼の両親もその一部だった南部から北部への黒人の大移動について、Wikipedia 英語版はテイタムの解説のなかで詳説しているので、この本の主題からはやや逸れるが触れてみよう。

【研究】マイルズ・デイヴィス

マイルズ・デイヴィス Miles Dewey Davis III (1926–’91)はイリノイ州オールトン Alton で生れ、翌年に40キロ余南の同州イースト・セントルイス East St. Louis へ転居しそこで育っている。隣接しているセントルイス St. Louis はミズーリ州で、間にはミスィスィピ川があり、少し北の上流にはミスィスィピ川とミズーリ川との合流点がある。黒人労働者が多かったイースト・セントルイスでは1917年に第1次大戦とも関連して労働争議から暴動が起き、多くの黒人の死者と多額の損害を出している。

【研究】ヴァースとコーラス

アレン・フォーテイ Allen Forte は著書《The American Popular Ballad of the Golden Era, 1925–1950》(Princeton Univ. Press, 1995)でロジャーズ&ハートの曲[Where or When]を分析して、この曲はヴァース部分が詩的にコーラスと結びついているだけでなく、音楽的にも緊密に関係しているので、けしてヴァース抜きで歌ってはならないと、注意している。そしてその通りヴァースをつけて歌っている人も多いが、しかしスィナトラやエラなどヴァース抜きで歌っている人も少なくない。フォーテイは言う。

【研究】セロニアス・モンク

セロニアス・モンク Thelonious Sphere Monk (1917–’82)はノース・キャロライナ州ロキー・マウント Rocky Mount に生れている。アメリカは広いから、この州は東部の海に近いところにあり、しかもニューヨークまで700キロぐらい、ワシントンDCまで300キロぐらいだから、何千キロと離れている中西部に較べれば北部に入るとも言えそうだ。しかしここは南部に区分けされ、いわば南部の始まりと言われる。姉マリオンが彼が生れる2年前に、弟トマスが3年後に生れている。

[Why Try to Change Me Now]Why Try to Change Me Now

この曲は、当時まだ23歳で作編曲の仕事を始めたばかりのサイ・コウルマンが書き、ジョウゼフ・アラン・マカースィ・ジュニアが歌詞を書いた。フランク・スィナトラは’40年代初めからソロ活動に入って、ジャズ歌手の新しい形を作りつつあり、すごい勢いで上昇してきたが、この頃’50年代初めは私生活のことも含めて大きく下降していて、ちょうどコロンビア・レコードとの契約切れを迎えたところだった。それに加えてコロンビアのA&R(Artists and Repertoire)マン/ミチ・ミラー Mitch Miller とうまくいかなくなり、コロンビアを出るのはやむを得ない展開だった。