研究」カテゴリーアーカイブ

【研究】アート・テイタム

アート・テイタム Art Tatum (1909–’56)は、ノース・キャロライナ州からオウハイオウ州トリードウ Toledo へと、20世紀初め頃に移ってきた音楽家の両親のもと、’09年に生れている。彼の両親もその一部だった南部から北部への黒人の大移動について、Wikipedia 英語版はテイタムの解説のなかで詳説しているので、この本の主題からはやや逸れるが触れてみよう。

【研究】マイルズ・デイヴィス

マイルズ・デイヴィス Miles Dewey Davis III (1926–’91)はイリノイ州オールトン Alton で生れ、翌年に40キロ余南の同州イースト・セントルイス East St. Louis へ転居しそこで育っている。隣接しているセントルイス St. Louis はミズーリ州で、間にはミスィスィピ川があり、少し北の上流にはミスィスィピ川とミズーリ川との合流点がある。黒人労働者が多かったイースト・セントルイスでは1917年に第1次大戦とも関連して労働争議から暴動が起き、多くの黒人の死者と多額の損害を出している。

【研究】ヴァースとコーラス

アレン・フォーテイ Allen Forte は著書《The American Popular Ballad of the Golden Era, 1925–1950》(Princeton Univ. Press, 1995)でロジャーズ&ハートの曲[Where or When]を分析して、この曲はヴァース部分が詩的にコーラスと結びついているだけでなく、音楽的にも緊密に関係しているので、けしてヴァース抜きで歌ってはならないと、注意している。そしてその通りヴァースをつけて歌っている人も多いが、しかしスィナトラやエラなどヴァース抜きで歌っている人も少なくない。フォーテイは言う。

【研究】セロニアス・モンク

セロニアス・モンク Thelonious Sphere Monk (1917–’82)はノース・キャロライナ州ロキー・マウント Rocky Mount に生れている。アメリカは広いから、この州は東部の海に近いところにあり、しかもニューヨークまで700キロぐらい、ワシントンDCまで300キロぐらいだから、何千キロと離れている中西部に較べれば北部に入るとも言えそうだ。しかしここは南部に区分けされ、いわば南部の始まりと言われる。姉マリオンが彼が生れる2年前に、弟トマスが3年後に生れている。

【研究】リチャード・ロジャーズ

リチャード・ロジャーズ Richard Charles Rodgers (’02-’79)は、父母がニューヨーク州ロングアイランドのアーヴァーン Arverne の友人の別荘を訪れていたときに、産気づいて次男として生れた。すぐに一家はマンハタンに引っ越し、それはのちに一緒に仕事をするロレンズ・ハート Lorentz Hart とオスカー・ハマースタイン二世 Oscar Hammerstein II (’95–’60)の家と偶然ほんの数ブロックしか離れていなかった。父は成功していた医者で、母はなかなか質のいいアマチュア音楽家だった。

【研究】ジュール・スタイン

ジュール・スタイン Jule Styne (’05-’94)は12月31日生れで、ウクライナ(当時はロシア)からイギリスに移住したユダヤ系両親の長男としてロンドンで生れた。もともと名前は Julius で、ジュウリー Jule という女性の名のような発音だったらしいが、のちに同じ名前のMCA (Music Corporation of America)総帥の Julius Stein がいたので、混同を避けて Jule Styne と綴りを変えた。彼が3歳のときに両親とともにスコットランドの歌手ハリー・ローダー Harry Lauder のステイジを見に行ったら、彼が突然ステイジに登って歌い始めたのだ。

【研究】ジョニー・マーサー

ジョニー・マーサー Johnny Mercer (’09-76)はジョージア州サヴァンナの南部の旧家に生れている。父ジョージは名の知れた検事で、不動産投資で成功した富裕な人だった。母リリアンの父はクロアチア移民で、商船を動かしていたので南北戦争では海側の守りについた人だった。母リリアンはアイルランド系で、ジョージの秘書だったが二番目の夫人になり、ジョニーはリリアンの最初の子で上には3人の兄弟がいた。

【研究】ハロルド・アーレン

ハロルド・アーレン Harold Arlen (’05-’86)はニューヨーク州バッファロウでユダヤ人キャンターの子として生れた。双子だったが重い兄の方は翌日亡くなり、2キロ弱の軽い方の彼は生きのびた。キャンターは教会の歌い手でその子は歌がうまく歌手か音楽家になる者が多く、アル・ジョルスンはその典型だが、彼もその例にもれず早くから音楽的才能を見せていった。