【研究】クラシックとスタンダード曲

クラシックの曲をポップス化するのはアメリカではよく行われている。この巻でもショパンの[幻想即興曲]をもとにしてつくられた[I’m Always Chasing Rainbows]を採りあげたし、[A Lovey Way to Spend an Evening]もチャイコフスキーの[悲愴]の第一楽章第二主題からひねり出したメロディである。後者のような過去の名曲を参考にして曲づくりをするというのは、本当ははるかに多いかもしれない。ただそういう事実をふつうは隠すから、聴いている者に判らないだけだ。また前者のように、メロディをそっくり借用して英語の歌詞をつけてヒット・ソングをつくるのは、もちろんかなり以前に作者が亡くなっていて著作権が切れていなければ、成立しにくい。プレスリーらが歌った[Can’t Help Falling in Love]という曲はアーロン・コープランドが映画『The Heiress』(Paramount, ’49)に書いた有名なアカデミー主題歌賞曲に酷似しているが、不思議なことにコープランドの名はクレディットに記されてはいない。当然ながら、メロディの引用、借用はいい意味にも悪い意味にも問題が多く、こういうヒット曲がまきおこす著作権訴訟もアメリカでは非常に多い。

それはともかく、前者の例としては、ほかにもボロディンのメロディからとった[Starabger in Paradise]やラヴェルのメロディからとった[The Lamp Is Low]がある。それから1960年代に、ベートーヴェンの[エリーゼのために]をポップス化したロック調のヒット曲があった。その原曲が大好きだった私は、当時そのヒット曲になじめなくて強く抵抗を感じたのを憶えている。こういうとき抵抗を感じる人は多いと思うが、最近ではこういう抵抗もいくらか減ってきたと思う。なぜならこういうことは始終おきるし、クラシックとポップスやジャズの合同コンサートも多くなった。だからこれからもクラシックの曲を下地にしたポップスというものはもっと増えていくのかもしれない。ある意味では、作曲家が苦しんでいるかぎり(そして苦しまないということはありえないが)、既成の曲を参考にするということは必ずありえることで、こういうことはなくならないだろう。面白いのは作曲だけでなく、編曲でもこれと同じことがよくなされるということだ。西部劇映画『The Outlaw』(RKO, ’43)で音楽のヴィクター・ヤングは、あまりいいアイデアがわかなかったのか、例のチャイコフスキーの[悲愴]の第一楽章第二主題を徹底的に使っている。もう厭というほど使っていて、これはなにか私には名曲引用の典型的な失敗例ではないかとさえ思えた。そっくり引用するのは、それをうまく生かそうとすれば難しいし、たんに参考にすることでさえ、ときには易しくない。

作曲というものは、最初から編曲の要素をふくんでいるし、その反対に編曲も作曲の要素をふくんでいる。作曲も編曲も、それを学ぶことは最初から模倣という要素をふくんでいるし、模倣することもそれらからの離脱という新たな志向性を生みだすと考えれば、それを否定しすぎるのも無理かもしれない。結局、音楽を愛するわれわれは、つねに聴いて良い悪いを判断できる感受性をもたなければならないのではないだろうか?