[Let’s Face the Music and Dance]Let’s Face the Music and Dance 1936年のアステアとロジャーズ主演のRKO映画『Follow the Fleet』にアーヴィング・バーリンが書いた曲である。それまでにアステア/ロジャーズのミュージカル映画は三本あって、すべて過去のどこか見知らぬ場所という設定になっていたが、この映画ははじめて〝現在〞に設定されていた。
[Marie]Marie 1928年にアーヴィング・バーリンが映画『The Awakening』(United Artists)に書いたもので、そのなかではヴィルマ・バンキィ Vilma Banky が歌った。彼女の最初のトーキーであり、バーリンが映画に書いた最初の曲でもあった。
[Oh, How I Hate to Get Up in the Morning]Oh, How I Hate to Get Up in the Morning 1918年にアーヴィング・バーリンが軍隊に入り、いわばその第一声としてつくった曲で、それは曲名の意味からも察せられるだろう。
[Play a Simple Melody]Play a Simple Melody アーヴィング・バーリンが1914年に初めてショウのスコアを書いたときの作品で、ヴァーノンとアイリーン・キャッスル夫妻主演のレヴュー【Watch Your Step】のなかの一曲だった。
[Pretty Girl Is Like a Melody, A]A Pretty Girl Is Like a Melody アーヴィング・バーリンが1919年版のズィーグフェルド・フォリーズに書いた曲で、そのなかではテノールのジョン・スティール John Steel が歌った。1907年から始まったズィーグフェルド・フォリーズは複数のソングライターの曲を使うことが多く、この’19年版でもバーリンのほか数人の曲を使っている。
[Puttin’ on the Ritz]Puttin’ on the Ritz アーヴィング・バーリンが書いて1930年の同名の映画『Puttin on the Ritz』(United Artists)に使われた曲で、そのなかではハリー・リッチマンが歌った。
[Reaching for the Moon]Reaching for the Moon アーヴィング・バーリンがつくり、1931年の同名の映画『Reaching for the Moon』(United Artists)に使われた曲で、そのなかではインストゥルメンタルとして使われた。
[Remember]Remember 1924年のクリスマスの25日にアーヴィング・バーリンが恋する人エリン・マッキィに寄せて書いた曲で、ミュージカルや映画とは関係ない。ちょうどこのとき彼女は旅行に出ていて、つのる想いをせつせつと歌って彼が書きつづった曲だ。
[Russian Lullaby]Russian Lullaby アーヴィング・バーリンが、1927年11月末に長女メアリィ・エリンが生れたときに書いた曲で、ミュージカル、映画とは関係ない。ナット・シャピーロ編《Popular Music: Vol. 5》にはロクスィ劇場の初日の夜にダグラス・スタンベリィ Douglas Stanbury が歌ったとあるが、これはほかの資料では確認できなかった。
[Say It Isn’t So]Say It Isn’t So アーヴィング・バーリンのミュージカルや映画に関係のない数少ないヒット曲の一つで、1932年の作品だ。このころは映画『Reaching for the Moon』(United Artists, ’31)の失敗もあって、彼にとって非常に不毛な時期だった。