[サンプル]【研究】シナトラのスウィング感

 ガンサー・シュラーは著書《The Swing Era》で、’39年から’40年代初めにかけて〝シナトラとサイ・オリヴァーとバディ・リッチの加入で、ドースィ楽団はシナトラとパイド・パイパーズのバラード派とオリヴァーとリッチのスウィング派に二分した〞と書いている。実際そうだったらしい。若い女性がキャーッと言い始めたこともあってバラードばかり歌うシナトラと、それを嫌ういつも目一杯たたきたいリッチは、なにかというと喧嘩をしていたという。そしてドースィはそれを見て笑っているだけだったと、ジョウ・スタッフォードは証言している。これは当時のスウィング・バンドのどれもが多かれ少なかれ経験していた内在的なの軋轢であり、その意味では仕方のないことだったとも言える。

 しかしこのオリヴァーとリッチのスウィング派は、シナトラにとって大きな対立派閥だったとは言え、このときのスウィング体験はシナトラにとってのちのち大きな下地になったのだと私は思う。シナトラがドースィのトロンボーンのフレイズィングや呼吸に影響を受けたと述べているのは有名な話だが、2ビートでバリトンサックスを重視したサウンド作りをしたオリヴァーの編曲と歌に、私はシナトラがかなり強く影響をうけたのではないかと思っている。シナトラとオリヴァーがデュエットをやっているトラックもいくつかあるし、細かくレコードを聴いていくと両者の関係はあんがい小さくはないようである。シナトラのジャズィな歌が本当に確立してくるのはコロンビア時代をへてキャピトル時代のネルソン・リドルの編曲を得てからだが、リドルの編曲とシナトラのノリの真髄は一にも二にも2ビートにあった(もちろんバリトンサックス重視はもう当然のことだったが)。2ビートなどジャズなら当たり前と思いがちだが、それがそうでもない。シナトラのノリがほかの人と違う点は2ビートと4ビートを微妙に正確に使い分けることができたところにあり、質がまったく違うが、それはマイルズ・デイヴィスのプレスティジ時代の演奏とも共通点がある。デイヴィスも2ビートがうまく、それを4ビートと際だたせることがうまかった。デイヴィスは、速いテンポももちろんうまかったが、遅いテンポで2ビート、4ビートをうまく処理するのがとくにうまかった。そしてそれと同じことはトミー・ドースィにも言えただろう。ドースィは、速いテンポでアドリブをゴリゴリと吹くことは下手だったが、メロディをゆったりと長く(レガートに)吹くことがとりわけうまかった。デイヴィスとドースィの二人はまったく異質なミュージシャンであるにもかかわらず、類似点が多いと私は感じている。

 シナトラはドースィのいいところを的確に吸収したが、それはバラードとスロー・テンポのスウィング感だった。後年のキャピトル時代のスウィング感はもう少し豪快で大きく、ミディアムからアップ・テンポのものを自由自在に処理する感覚だった。そしてそれこそ思い当たるのはサイ・オリヴァーである。オリヴァーがドースィ・バンドに入ってまずやったことは、バス・クラリネットをバリトンサックスに変えたことで、それは(今なら当然だが)アンサンブルに厚みを加え、当然ブラス楽器のリード音に鋭いアクセントを与えることになった。そしてこのオリヴァーのスウィング感やアクセントはドースィ・バンドの枠をこえて、多くのビッグバンドにも影響を与えていった。そういう点を考慮していくと、リドル時代のシナトラのスウィング感の基礎は、この時期のオリヴァーの影響下でつくられたと私には思われる。