Episode #017 ハリー・ルビーが書いて後悔した歌

 あるときテレビ番組でこう尋ねられたんだ。「ハリー、あなたが書いた歌のなかで書いたのを後悔しているような歌ってありますか?」とね。それで「ああ、一曲だけ書いたのを後悔してるのがあるね。それは[Three Little Words]さ」と僕は答えたんだ。みんな僕が冗談を言ってると思ったようだが、いいや、まったく冗談なんかじゃなかったよ。これを説明するには、最初から全部話さなくちゃならないけど。

 ずいぶん前、1931年のことだけど、バート・キャルマーと僕はRKO制作の映画に[Three Little Words]を書いたんだ。いったいどれだけ多くのこの歌のレコードがつくられたかは僕には判らないな。少なくとも三つのアルバムのタイトルとして使われていたし、何年間ものあいだ凄い数のレコードが売れてたよね。

 その年だったけど、僕はワシントン・セネターズ Washington Senater’s の押しも押されぬ名監督ウォルター・ジョンソン Walter Johnson がら、ボルティモア・オリオールズ Baltimore Orioles とセネターズのオープン戦に参加しないかという誘いの電報を受けとったんだ。それで僕がどうしたと思う? 普通の神経の人ならみんなこうしたろうね。即次の日、僕はスパイク・シューズとスウェット・シャーツやスライディング用の足当てなど一切をもって、ワシントンDCのグリフィス・パーク Griffith Park 球場のウォルター・ジョンソンのところへ出向いたよ。

 でね、その日の午後、試合の七インニング目のところで、セネターズのサード・ベース・コーチのアル・シャクト Al Schacht がラウド・スピーカーをとおしてアナウンスしたんだ、「ではバディ・マイヤー Buddy Meyer に代ってハリー・ルビーがセカンド・ベースに入ります」とね。僕の人生のなかの大きな瞬間だった。長いあいだの夢がようやくかなった瞬間だったね。

 セカンドの位置につくと、僕にはもうなにもかも信じられなかったよ。ジョウ・ジャッジ Joe Judge がファーストにいて、オスィ・ブルージ Ossie Bluege がサードに、ジョウ・クロウニン Joe Cronin がショートで、ハリー・ルビーがセカンドさ。百万ドルの内野陣さ。嬉しさでカーッとなって、守備位置に立ってグラブの内側に拳固を打ち込んでいたときは、もう考えられることはダブル・プレイを取ることだけだったよ。ダブル・プレイを取って次の日ボックス・スコア box score (選手名や成績などのデータを掲示板などにけいで囲んで示した記録)に自分の名前が載ってるのを見たら、もう僕の人生は言うことなしだったよね。

 ところがそのインニングが始まる直前になって、ラウド・スピーカーから「ハリー・ルビーは流行歌[Three Little Words]の作者です」とアナウンスされたんだ。またアル・シャクトのやつさ。それから野球のバットを指揮棒がわりに使ってさ、ファンを、九千人もいたファンをさ、アルが指揮してこの曲を歌わせたんだ。

 おかげで、僕はボロボロになっちまった。僕は、みんなが僕のことを本物の野球選手だと思っていてほしかったんだ。アル・シャクトにソング・ライターだと言われたんで、みんな僕のことを道化かおふざけの一種がなんかと思ったに違いないよ。もうみんな僕のことを真面目にはとってくれなかったさ。心のなかで僕がシャクトのやつをなんてののしったかはここでは言えないけどね。

 そのインニングが始まったね。最初のオリオールズの選手はシングル・ヒットを飛ばし、次の選手はオスィ・ブルージヘのゴロを打った。オスィはセカンドの僕のところへ投げようとして、僕がベースに入ってないのに気づいた。僕はダブル・プレイのためのベース・カヴァーをし損じてしまった。僕はアル・シャクトに呪いの言葉をかけながら、守備位置に釘付けになったままだったんだ。それは絵に書いたようなやさしいダブル・プレイのケースだったのに。それでジョウ・クロウニンが僕がカヴァーしてないのを見て慌ててセカンド・ベースに入ったけど、ダブル・プレイにはいま一歩及ばなかったよ。彼は一人アウトにできただけだった。

 翌日のワシントン・ポスト紙のスポーツ欄には〝ソング・ライター、ダブル・プレイを逸す〞という見出しが大きく出たよ。

 というわけで、僕は[Three Little Words]なんか書かなけりゃよかったってつくづく思ったんだ。