Episode #011 やっとその日がやってきた

 オスカー・ビーターソンはコンサートのまえに密かにハーブ・エリスのギターの弦をゆるめておいて、演奏の直前まで彼を会話に引きずり込むということをよくやった。あるいは逆に弦には触っていないのに弦を弛めたようなふりをして、次の曲をいつもより高いキーで弾いて、ハーブに楽器の弦がくるっていると思わせたりもした。

 ’53年の日本でのJATPコンサートのときだが、オスカーはレイ・ブラウンにこの同じトリックをしかけた。G線の糸巻きを数回まわして、ノーマン・グランツ Norman Granz がピーターソン・トリオとエラ・フィッツジェラルドの出演をアナウンスしているあいだ、彼はレイを会話に引きずりこんでいた。ステージにのぼって演奏が始まると、レイのG線は弛すぎて音にならず、バタバタとかバシャバシャいうだけだった。レイが慌てて糸巻きをまくとエラは振り返って汚いものでも見るように睨みつけ(ちょうどこのころ二人は夫婦だった)、オスカーとノーマンは歓喜して笑いこけた。

 そのあとレイはパチンコ屋へ行っててのひらに山ほどのパチンコ玉をポケットに忍ばせて帰ってきた。次のコンサートでオスカーがビル・ハリス Bill Harris (トロンボーン)の伴奏をする段になって、レイは密かにピアノのなかにパチンコ玉をばらまいておいた。ハリスは[But Beautiful]とアナウンスし、合図してオスカーがイントロに入った。ところがパチンコ玉が弦のあいまで踊ったから、音はギャンギャン、ビジョンビジョンと潰れた。

 オスカーは片手でピアノを弾きながら他方の手でパチンコ玉を一つ一つ拾い、それをレイのベースに投げつけた。ひどい伴奏になったからハリスは自分のソロに散ざん苦しみ、ステージを降りるときオスカーの耳元に「憶えていろ、いつかきっとな」と囁いた。

 翌年ローマのオペラ・ハウスでだったが、やっとその日がやってきた。ハリスはオスカーがグランツの希望で一曲歌うことに一息しているのを立ち聞きした。トリオがステージにのぼったとき、ビル(・ハリス)は大きな盆にグラスとあき瓶をたくさん載せてバック・カーテンのうしろの梯子の一番上の段にそれをのっけた。オスカーは[Tenderly]を歌い始めた。ビルはその題名の tenderly の言葉のとこまで待って、梯子を押し、走った。その衝撃音は大満足のいくほど恐ろしいものだった。舞台の前の方が(観客にオペラのセットがよく見えるように)鋭く傾斜して造られていたので、割れなかった瓶が転がりつづけ、いつまでも音が鳴り響いた。ビルは二階に素早く逃げこんだので、その衝撃音に急いで駈けおりてきて、「ノーマン、いったいなんなんだい? 舞台じゃアーティストが演奏してるっていうのに?」と言う余裕もあった。

 グランツはこのことに猛烈に怒り狂ったので、だれもあえて犯人の名を明かそうとしなかった。