Episode #007 ドロスィー・フィールズのとんだ劇場デビュー

 1927年12月にドロスィはマクヒューに誘われてコットン・クラブのショウに曲を書いた。

 エリントン楽団と歌手とのリハーサルもすませ、初演の夜は客席に父のルー、母、最初の夫ジョウ、兄のハーバート([Don’t Blame Me]参照)も呼んで迎えた。父母はドロスィがショウ・ピズィネスに入るのに猛反対で、彼女のオ能を鑑定してもらう意味もあって、父の親しい友人でもあるウォルター・ウィンチェル([The Lady Is a Tramp]参照)に同席してもらっていた。そしていよいよショウが始まって歌手が歌い始めると、なんとその歌詞の汚く卑猥なこと、皆あきれかえってしまった。「“お前がこの詩を書いたのか?”と父がきくから、私は真っ青になって“もちろん違うわよ”と言いました。ウィンチェルも“ルー、これはなんとかしなきゃならんね”と言うので、父は、ギャングのオウニィ・マッデン Owney Madden の相棒で彼と一緒にこの店の共同経営者になっているブロックという男のところに行って“いいか、俺の娘があの歌詞を書いたんじゃないとマイクでアナウンスしなきゃ、お前を床にたたきのめしてやるからな”とまくしたてました。で彼らは歌詞は私のでないし曲もマクヒューのではないとアナウンスしたんです。これがなんと私の劇場での初体験でした」とドロスィは語っている。ところで真相は、どうやら歌手が勝手に歌詞を変えてしまったということらしかった。