[You’d be so nice to come home to]の改訂版上梓。ぜひ皆さん読んで下さい。

コウル・ポーターの [You’d be so nice to come home to] につけた「帰ってくれたら嬉しいわ」という邦訳はジャズ界を蹂躙してきたが、二つの大きな間違いを犯した。一つはcome home toのtoで方向性が変わり、きみが「帰ってくれたら」ではなく、きみのとろへ私が「帰っていけたら」いいな、と意味が逆転することだ。これはしかし日本語と英語の違いであって、理解できれば修正はべつに難しくない。ネットを検索してみるとそれはほぼ理解されてきたとわかるが、以下のような訳が溢れている。

 

1/あなたの待つ家へ帰れたらどんなにホッとするのに
2/貴方が帰りを待っていてくれたらとても素敵
3/どんなに素敵だろう
4/家に帰ればあなたがいる
5/家に帰ったときに君がいてくれたら
6/毎日、帰ってくると君がいる生活

 

基本的には「・・・たら嬉しいわ」という訳で、それはYou’d beの控えめに遠回しに表現している彼女への愛を蹴ちらしてしまった。まだ実現していない彼女との関係を婉曲に可能性を探るように表現している仮定法過去’dを踏みにじり、自分の願望と都合だけを並べるような味気ない訳文が支配してしまった。もし原文が仮に「I’m glad if ・・・たら嬉しいわ」のような文章だったら、そもそもこの曲はヒットしてなかったかもしれない。そして日本ではこの二つの弊害のうち、むしろあとの方が害が大きかったとも言えそうだ。「嬉しいわ」訳のような過誤が与える傷は、困ったことに、そう簡単には修復できないのかもしれない。今回ネット訳詩を一覧してみて、嫌というほど思い知らされた重い現実である。

 

この詩は私のことを言っているのではなく、あなたを褒め称えているのである。もちろん自分の気持ちを吐露しているには違いないが、これは詩であってそこらの雑文とはわけが違うから、あなたを褒め称えている主語述語の構文は絶対に壊さずに訳したい。従って初出から60年もたって、帰っていくのがあなたではなくて私だという点は理解されてきたが、主語を自分にしてしまう「嬉しいわ」訳は伝統のようにまだあちこちに生きていて、この曲の訳を汚くしている。なんとかして「嬉しいわ」訳から離れたいものだ。「あなたは、(私が)帰っていく相手としては、最高だなあ」と褒め称えているのだから、その雰囲気を訳でも大切にしたい。
訳詩とは、どうせするならいつも細心の注意を払ってしてもらいたいものだ。汚い訳詩はつねに原詩を壊しているということを、訳す人は自覚してもらいたい。そんなことを考えさせるこの曲のネット訳詩氾濫である。そしてネット訳詩氾濫は便利でありがたい時代の到来ではあるが、残念ながらいい加減で質悪な訳詞ばかりだということも常に頭に入れておいてほしい。
今回この問題についてとくに詳述したので、「帰ってくれたら嬉しいわ」訳がまだ大きな問題を引きずっていることと、この歌詞の訳が見た目よりもはるかに難しいことも併せて、この項を繰り返し読んで問題点についてよく考えてほしい、と私は読者諸氏にお願いしたい。  —村尾陸男

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