電子版オリジナル」カテゴリーアーカイブ

【研究】リチャード・ロジャーズ

リチャード・ロジャーズ Richard Charles Rodgers (’02-’79)は、父母がニューヨーク州ロングアイランドのアーヴァーン Arverne の友人の別荘を訪れていたときに、産気づいて次男として生れた。すぐに一家はマンハタンに引っ越し、それはのちに一緒に仕事をするロレンズ・ハート Lorentz Hart とオスカー・ハマースタイン二世 Oscar Hammerstein II (’95–’60)の家と偶然ほんの数ブロックしか離れていなかった。父は成功していた医者で、母はなかなか質のいいアマチュア音楽家だった。

【研究】ジュール・スタイン

ジュール・スタイン Jule Styne (’05-’94)は12月31日生れで、ウクライナ(当時はロシア)からイギリスに移住したユダヤ系両親の長男としてロンドンで生れた。もともと名前は Julius で、ジュウリー Jule という女性の名のような発音だったらしいが、のちに同じ名前のMCA (Music Corporation of America)総帥の Julius Stein がいたので、混同を避けて Jule Styne と綴りを変えた。彼が3歳のときに両親とともにスコットランドの歌手ハリー・ローダー Harry Lauder のステイジを見に行ったら、彼が突然ステイジに登って歌い始めたのだ。

【研究】ジョニー・マーサー

ジョニー・マーサー Johnny Mercer (’09-76)はジョージア州サヴァンナの南部の旧家に生れている。父ジョージは名の知れた検事で、不動産投資で成功した富裕な人だった。母リリアンの父はクロアチア移民で、商船を動かしていたので南北戦争では海側の守りについた人だった。母リリアンはアイルランド系で、ジョージの秘書だったが二番目の夫人になり、ジョニーはリリアンの最初の子で上には3人の兄弟がいた。

【研究】ハロルド・アーレン

ハロルド・アーレン Harold Arlen (’05-’86)はニューヨーク州バッファロウでユダヤ人キャンターの子として生れた。双子だったが重い兄の方は翌日亡くなり、2キロ弱の軽い方の彼は生きのびた。キャンターは教会の歌い手でその子は歌がうまく歌手か音楽家になる者が多く、アル・ジョルスンはその典型だが、彼もその例にもれず早くから音楽的才能を見せていった。

【研究】ラウンジ歌手、サルーン歌手、キャバレー歌手について

僕は50年前に起きたことがすべて良くて今日起きていることが悪いなんて思っている一人ではないけれど、ポピュラー音楽の領域では、少なくとも僕の好みから言うんだが、まったくそのとおりだと思えてしまう。ルディ・ヴァレー Rudy Vallee とビートルズ Beatles までの間はまさに輝かしい時代であり、言葉のすべての意味において黄金期だった。

【研究】マクヒューとフィールズ

ジミー・マクヒュー(1894–’69)はマサチューセッツ州ボストンに生れた。父は配管工事の会社をやっていて、彼にピアノを教えたのは母だった。セント・ジョンズ予科学校から聖十字架カレッジへ進み、彼は音楽を専攻した。若き日にいくつかほかの仕事をしてから、ピアニストとして活動し始め、最初はボストンのオペラ劇場のリハーサル・ピアニストとして働いた。26歳の時にアーヴィング・バーリン音楽出版社のボストン支店のプラッガーの職を得た

【研究】バート・バカラック

バート・バカラック Burt Bacharach (’18-)はミズーリ州カンザス・スィティに生れたが、ニューヨーク市のフォレスト・ヒルズで育ち、フォレスト・ヒルズ高校を’46年に卒業した。父のマークは有名な新聞のコラムニストで、一家はユダヤ系だった。しかし「家族の誰もユダヤ教会には行かなかったし、ユダヤ系であることを気にもしなかった」と、そして「でも周りの子供達は皆カトリックで、僕がユダヤ系であることは周囲の誰にも知られたくなかった」と彼は自伝に書いている。

【研究】ニール・ヘフティ

ニール・ヘフティ(’22–2008)はネブラスカ州ヘイスティングスで貧しい家に生まれた。家は祝日の時などの慈善援助に頼るほどだった。10歳のときクリスマス・プレゼントにトランペットをもらい、翌年には学校でトランペットを吹き始め、高校では夏休みに地方のバンドに入ってバイト代を稼ぎ生活費に当てたりした。

【研究】ハーブ・ジェフリーズ

ハーブ・ジェフリーズは歌手で役者、監督、作家、作曲家でもあった。父がイタリー系と黒人の血が入っていたらしく、彼も青い目と茶色の毛とやや黒っぽい肌で、なに人と言いがたいような容貌だった。一時期黒人向けの映画や芝居、そしてジャズ歌手として売りたかったこともあり、顔の黒さを濃く見せる化粧をしていたという。

【研究】ジェロウム・カーン

ジェロウム・カーンは1895年生れで、ティンパンアレイ作家の中では1番世代が上だ。父はドイツ移民のユダヤ系商人(母もボヘミア移民のユダヤ系でピアニスト)で、最初は厩を経営していたというが、相当腕のたつすぐれた商人だったようだ。おかげでジェロウムはなに不自由なく育ち、金のことはどうでもいいような優雅な性格を身につけたようだ。