[I’m Walkin’]I’m Walkin’ 1950年代に大活躍したR&B系のピアニストで歌手のファッツ・ドミノがデイヴ・バーソロミューとともに書いた曲である。’57年に発表された彼のレコードが最初のものだった。ロック歌手でのちにプレスリーなどと肩を並べて活躍するリッキー・ネルソンがデビューでこの曲を歌ったのも、同じ年だった。
[I’m Always Chasing Rainbows]I’m Always Chasing Rainbows ハリー・キャロルが作曲して、ジョウゼフ・マカースィが歌詞をつけたもので、1918年のヒット曲である。作曲といっても、周知のようにこれはショパンの[幻想即興曲嬰ハ短調]からとったもので、厳密には作曲とは言えない。
【研究】アーヴィング・バーリンと著作権規定 本書の初版に私は次のように書いた。──アーヴィング・バーリンは1989年に101歳の長寿をまっとうして亡くなったが、生前、彼は自作曲は自作曲のみで出版されることを望み、自作曲が他の作曲家の曲と一緒に出版されることを拒絶していた。
[Winter Wonderland]Winter Wonderland これはリチャード・B・スミスとフェリックス・バーナードが1934年に書いた曲で、ガイ・ロンバード楽団が最初に録音してレコードにした。それは’34年末からチャートに入って’35年1月に4位(2位と記した資料もあったが)まで昇っている。
[White Christmas]White Christmas おそらくクリスマス曲のなかでももっとも有名になった曲の一つで、アーヴィング・バーリンが1942年に作詞、作曲したものである。そして同年の映画『Holiday Inn』(Paramount)に入れられ、そこではビング・クロズビィが歌った。
[While Shepherds Watched Their Flocks]While Shepherds Watched Their Flocks これはネイハム・テイトが書いた歌詞をヘンデルの曲に載せてできあがった唄で、17世紀末ごろの作品である。テイト(1652-1715)はアイルランドのダブリン生れらしいが、正確なところは判らないし、彼の幼少時代についてもあまり判っていない。
[What Child Is This?]What Child Is This? この曲はたいていの人が気づくだろうが、[Greensleeves]のメロディにあとから[What Child Is This?]という詩がつけられた曲である。[Greensleeves]はヘンリー八世(1491-1547)が書いたというあまり信憑性のない話しもまかり通っているが、それはある意味でこの曲の人気の証しでもあるだろう。
[We Three Kings of Orient Are]We Three Kings of Orient Are これはジョン・ヘンリー・ホプキンズ・ジュニアが1857年に作詞、作曲したもので、’62年の彼の曲集《Carols, Hymns and Songs》に載せられた。ホプキンズ(1820-1891)はピッツバーグ生れで、作詞家であり、雑誌の記者、編集者で、絵も描いたりステインド・グラスのデザイナーもやっていた。
[Little Drummer Boy, The]The Little Drummer Boy これはハリー・スィメオン 、ヘンリー・オノラーティ、キャサリン・K・デイヴィスら三者の作で、1958年と比較的新しいクリスマス曲である。聖書外典からの話しとして、幼いイエスの誕生にさいして贈り物をさしあげる余裕のない貧しい少年が、聖母マリアの許しを得て新生児のためにドラムをたたくと、歌詞は歌っている。
[Christmas Song, The]The Christmas Song お馴染みトーメ/ウェルズのコンビによるクリスマス曲で、同じかそれに近い題名のものがいくつかあったので、普通は括弧して(Chestnuts Roasting on an Open Fire)と曲名のあとにつけて言及される。クリスマス曲としては珍しくジャズィな雰囲気のある曲である。