[Alexander’s Ragtime Band]Alexander’s Ragtime Band アーヴィング・バーリンの代表曲といえばまずこれがあがるといって間違いない、彼の最初の大ヒット曲である。この頃彼は歌うウエイターとして働いていて、もともと歌手だった彼は、1911年初めにフライアーズ・クラブのメンバーになり、年に一回のクラブの恒例のショウ【Frolic】に出演を依頼された。
[All Alone]All Alone アーヴィング・バーリンがレヴュー【Music Box Revue of 1924】に書いた曲で、そのレヴューではグレイス・ムーアとオスカー・ショー Oscar Shaw が歌った。
[All by Myself]All by Myself アーヴィング・バーリンが1921年のパレス劇場のヴォードヴィル・ショウに書いた曲で、そのなかではチャールズ・キングが歌った。しかし大きな成功ではなかったようで、そのショウについての詳しい言及は見あたらず、キングの歌もヒット・チャートには入っていない。
[Always]Always アーヴィング・バーリンが1925年に【The Cocoanuts】というショウに入れるつもりでつくったワルツだが、結局使われずに終り、ミュージカル、映画とは関係ない。しかしのちに映画『Christmas Holiday』(Universal, 1944)で使われ、ディアナ・ダービンが歌ってリヴァイヴァルしている。
[Anything You Can Do]Anything You Can Do アーヴィング・バーリンが1946年のミュージカル【Annie, Get Your Gun】に書いたもので、そこではエセル・マーマンとレイ・ミドルトンが歌った。その映画化『Annie, Get Your Gun』(MGM, 1950)ではベティ・ハットンとハワード・キールが歌っている。
[Blue Skies]Blue Skies 1926年12月に開幕したロジャーズ・アンド・ハートのショウ【Betsy】に出演することになっていたベル・ベイカー Belle Baker の依頼をうけて、アーヴィング・バーリンが特別に書いた曲だ。
[Change Partners]Change Partners アーヴィング・バーリンが1938年のフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズ主演のRKO映画『Carefree』のために書いた曲である。彼はその前年の’37年(バーグリーン書には’38年とあるがたぶん誤りだろう)の1月に、奥さんと転調できるピアノを車の後ろに牽引して、避寒地のアリゾナ州フェニックスにでかけていった。
[Cheek to Cheek]Cheek to Cheek アーヴィング・バーリンが1935年のフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズ主演のRKO映画『Top Hat』に書いた曲で、そのなかではアステアが歌い、また二人が踊った。
[Easter Parade]Easter Parade 1933年にアーヴィング・バーリンが書いた曲で、同年のミュージカル【As Thousands Cheer】に使われ、クリフトン・ウェブとマリリン・ミラーによって歌われた。がこのメロディは、最初は彼が1917年に[Smile and Show Your Dimple]という曲名で書いたものだった。
[Heat Wave]Heat Wave アーヴィング・バーリンが1933年のミュージカル【As Thousands Cheer】に書いた曲で、そこではエセル・ウォーターズが歌った。このショウは事実上レヴューで、まるで新聞やテレビのニュース欄でも見るように事件や記事を歌や踊りをまじえ風刺をきかせて見せていった。