誤訳、悪訳の話しを少し

最近目にした誤訳、悪訳の話しを少ししましょう。これはMatt DennisのAngel Eyesの歌詞と、あるサイトにあったその訳です。

 

Try to think that love’s not around
Still it’s uncomfort’bly near
My old heart ain’t gainin’ no ground
Because my Angel eyes ain’t here

 

Angel eyes that old devil sent
They glow unbearably bright
Need I say that my love’s misspent
Misspent with Angel eyes tonight

 

So drink up, all you people
Order anything you see
Have fun, you happy people
The drink and the laugh’s on me

 

Pardon me, but I’ve gotta run
The fact’s uncommonly clear
Gotta find who’s now “Number One”
And why my Angel eyes ain’t here

 

Oh, where is my angel eyes
Excuse me while I disappear
Angel eyes, angel eyes

 

愛しいあの人は
いないって思いたいのに
苦しいほど
まだ私の心の中にいるの
私はどうすればいいのか
分からずにいる
“天使の瞳” は
この場所にはいないというのに…

 

老いた悪魔が私に届けた
“天使の瞳” は
耐えきれないほど
眩しくて
愛を無駄遣いしていることくらい
分かっている
今宵、来ることのないあの人に
私は愛を無駄遣いしている…

 

さあ、みなさん
どうぞ飲み干して
何でも好きなものを
頼んでちょうだい
楽しんで
幸せそうなみなさん
飲んで
そして私のことを笑ってちょうだい…

 

でも悪いけど
もう失礼するわ…
真相は
とってもはっきりしているの
誰が今あの人の
“一番” なのか
どうして “天使の瞳” は
ここにはいないのか知りたい
ああ、私の “天使の瞳” は
どこにいるの…

 

ごめんなさいね
私がしばらく ここに立ち寄らなくなったら
その時は 私は “天使の瞳” を探していると
思ってちょうだい…

 

この訳文の最後の4行に対応する英文は見つけられませんでした。さて「老いた悪魔が」の「老いた」はいただけないです。oldは「いつもの、例の、親しい、すばらしい、すごい、よく知っている」などの意味で盛んに使われ、that lucky old Sunとかmy old flameとかold devil moonとかold boyなどという表現は「老いた」とは関係ありません。人間は歳とりますけど、だいたい悪魔とか月や太陽は年取らないでしょう。

 

Have fun, you happy people / The drink and the laugh’s on me のところ、「楽しんで、幸せそうなみなさん / 飲んで、そして私のことを笑ってちょうだい」となってますが、これはまず「幸せそうな」がまずいですね。「そうな」は取らないと気分が出ません。見ての通り、原文には「そうな」はないです。惨めな自分との対比なので、「幸せな君達」などと「そうな」は入れない方がいいです。

 

それからブリッジの最初のところで So drink up, all you people / Order anything you see 「どうぞ飲み干して」と言っているので、最後の行の「飲んで、そして私のことを笑ってちょうだい」の「飲んで」はいらないですね。それはもうすでに言ってあるのと、次に「何でも好きなものを、頼んでちょうだい」と言うので、それを受けて「酒は僕につけて」と言っているわけです。「飲んで」の繰り返しはいただけないです。そして「振られちまった僕を笑いながらさ」と来ます。The drink is on me で「酒は僕につけて」です。この on は悪い意味にのみ使う表現で、The laugh’s on me は「振られちまった僕を笑っていいよ」という感じになります。

 

これを訳した人は、失礼ながらかなり意味がわかってないですね。ま、ネットに出てる訳はだいたいこの程度でしょう。でも本にするにせよネットにアップするにせよ、自分勝手な意訳、勝手訳ではなく、本当はいつもできるだけ原文に忠実な訳を呈示しなければならないはずです。これが案外守られないですね。日本語に適当な語がないのなら、そういう場合は意訳で切り抜けるしかないですが、そういう場合はあってもほんの僅かです。意訳も意味が正確につかめてないと間違いのもとで、簡単にはいかないですね。直訳、逐語訳、意訳、勝手訳、これらはときには紙一重の問題です。この人は最初から正しい訳をよけて通っていて、それを意訳と呼んでいるんですかね。わからない人は訳さない、いい加減な勝手訳を呈示しないという誠意、誠実さが、結局今の日本人には必要なんでしょう。

 

さてもう一つ [For All We Know] という曲。Sam M.Lewisと J.Fred Coots の1934年の作品。当時大きなヒットで、大変多くの人によって歌われてきました。僕もこの曲は今でもときどき歌います。これもあるべつのサイトにあった訳です。

 

For all we know
We may never meet again
Before you go
Make this moment sweet again
We won’t say “Good night” until the last minute
I’ll hold out my hand and my heart will be in it

 

For all we know
this may only be a dream
We come and go
like a ripple on a stream
So love me tonight;
Tomorrow was made for some
Tomorrow may never come
For all we know

 

惹かれ合っているけれど、もう二度と会うことはないのかも。。
あなたが行ってしまうまえに、
この時をいつものように甘く過ごしましょう
最後の最後まで、「おやすみ」は言わないの
私があなたに差し出す手。。
その手の中に、私のすべての愛がつまっているの

 

惹かれ合っているけれど、ただの夢なのかもしれない
寄せては引くさざ波みたいに 付いたり離れたりの繰り返し
今夜は愛して
明日は他の人と過ごすのかもしれない
明日は、来ないのかもしれない
惹かれ合っていると分かっているけれど。。

 

まず最初に訳ではなく「意訳」と断ってあります。この「意訳」というのは、正しい訳ができないということの、多分逃げか言い訳なんでしょう。For all we know に「惹かれ合っているけれど」と充ててますが、これは普通なら「私たちが知り合い理解しあっているにもかかわらず」という意味ですね。一目瞭然です。「これほど知り合い理解し合っているのに」あるときは人間は別れなくてはならないような、そんな運命もある、という感じがこもってますね。なぜ「知る、理解し合う」を「惹かれ合っている」とするんでしょう? 題名にもなっている重要な言葉、文ですから、この”意訳”はあってはならないもので、僕にはわかりません。人の名前を間違って呼んでいるような、僕はなにかそんなふうに感じられます。訳す人にこんな捏造の権利はないですね。

 

Tomorrow was made for someというのは「明日は(私たちにではなく)他の人のためにある」と直訳で解せますけど、「明日は他の人と過ごすのかもしれない」とあって、これはきっとこの人自身が、「愛しあっていても明日は他の人と過ごすかもしれない」とこんな考えで生きているんではないですか。愛する人と別れて一生独身を通して死んでいく人もいますね。誰もが明日は他の人と過ごすわけではないです。意訳と言っても書いてないことを書くことはもちろんできません。「他の人と過ごす」なんて原詩のどこにも書いてないです。こんな最低の訳がでてくるのはもう悪訳どころか、それを通り越して恐ろしいですね。この人はこの名曲中の名曲に泥とウンコをぬりたくって汚い最低のエロ唄にまで貶めてくれたと言えるでしょう。訳者がどんなにイカレタ汚い人間だろうと、この素晴らしい曲、歌は汚さないでほしいです。無駄でしょうが、僕から切にお願いします。

 

こういう最低の訳がネットに出てくるのは、今は最悪のひどい時代に入ってきたということの証拠かもしれないですね。ネットに氾濫する訳には注意してくださいな。僕がこんなことを言ってもどうなるもんでもないでしょうが。村尾陸男

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